1980.3.30.〜4.4.
急行「きそ」・「鳥海」・「きたぐに」夜行三昧の旅
高校1年の春休み。
半年前の夏休み、急行「阿蘇」で夜行列車の魅力に引かれた私たちは、春まだ浅い信州や上越に行こうということになり、
3つの名門夜行列車を使って、6日間の旅に出ました。

▲往路の切符です。実際には白河の2つ手前の白坂まで使用しました。
▲3月30日、津を13時13分発の326Dで亀山に向かいました。後方は伊勢線の車両です。
▲亀山に81系和式客車が止まっていました。向こうはDF50の4号機です。 (紀勢本線・亀山)
▲キハ40系の4連。後方はキハ55.荷物運搬クレーンもなつかしい。 (紀勢本線・亀山)

▲名古屋駅のスタンプ
 
▲ナハネフ22を最後尾にした特急「あさかぜ51号」  (名古屋)
▲23時55分、急行「きそ7号」で長野に向かいました。立っているのはB寝台車オハネフ122034ですが、元気な良い子?は自由席で夜を明かしました。  (名古屋)
▲10分停車の中津川駅で押したスタンプ。中央西線から80系電車が引退した直後でした。
 
▲翌3月31日4時05分、6分停車の松本駅で押したスタンプ
 
 
▲5時32分、急行「きそ7号」は長野着。ここで下車し、6時24分発の軽井沢行き普通列車330Mに乗りました。  (長野)
▲川中島に80系電車が止まっていました。 (信越本線・川中島)

 
▲サロ169から見た浅間山。普通列車330Mはグリーン車を連結していて、軽井沢からは急行「信州4号」上野行きになります。
▲8時10分、330Mは軽井沢着。すぐに補機EF63が連結されます。

 
▲横川−軽井沢間の専用補機EF63のトップナンバー (信越本線・軽井沢)
▲特急「あさま8号」  (信越本線・横川−軽井沢)
▲急行「妙高3号・志賀1号」  信越本線・横川−軽井沢)
このあと、特急「あさま16号」で上野に向かい、友人の親戚の家(さいたま市内)に泊めていただきました。
翌4月1日は、大宮9時32分発のDC急行「ざおう1号・いいで号」で黒磯に向かいました。
▲ED71やEF75の天下。 (東北本線・黒磯)
▲特急「やまびこ6号」  (東北本線・白坂−豊原)
▲ボンネット特急同士の離合。このあたりは福島と栃木の県境付近。  (東北本線・白坂−豊原)
▲復路の切符は黒磯から津まで購入しました。複雑なルートだったので、料金計算をした駅員さんには迷惑な客だったことでしょう。
▲18時14分、黒磯から上野までボンネットの特急「ひばり24号」に乗車。この日の夜も前夜に続きさいたま市の家に泊めていただきました。
▲翌4月2日、大宮8時46分発の特急「はくたか1号」で水上へ  (上越線・水上)
▲特急「とき9号」  (上越線・土樽)
▲雪が降る中、EF16や特急を撮影  (上越線・土樽−越後中里)
▲水上−石打間専用補機のEF16  (上越線・水上)
▲181系特急「とき27号」  (上越線・水上)
▲23時47分、水上から新発田まで801レ急行「鳥海」のグリーン車に乗車
▲グリーン車スロ62の後方は、オハネフ12、オハネフ12、オロネ10、マニ36、スニ40、スニ41  (上越線・水上)
▲3時12分、急行「鳥海」は新発田に到着。待合室で2時間休みました。
▲6時01分、急行「天の川」の見事な20系編成にうっとり。 (羽越本線・新発田)
▲新発田7時26分発の926Dで新潟に向かいました。
 
▲8時55分、501レ急行「きたぐに」が新潟に到着。寝台車5両を切り離し、残りの座席車のみ青森行きになります。 (新潟)
▲新潟9時18分発の越後線138Dで吉田に向かい、弥彦線236Dで弥彦に向かいました。
▲10時34分、弥彦着。弥彦駅舎は弥彦神社の本殿を模した寺社造り。
▲弥彦山にも登りました。急な斜面をクライミングカーで山頂へ。このあと午後は夜の急行「きたぐに」まで新潟市内を観光しました。
▲21時23分、502レ急行「きたぐに」で大阪に向かいました。左は181系特急「とき」、右が急行「きたぐに」です。  (信越本線・新潟)
▲22時29分、長岡で8分停車。スタンプを押しに行った甲斐がありました。DISCOVER JAPANのスタンプです。
 
 
▲翌4月4日、5時22分、502レ急行「きたぐに」を敦賀で下車。ループ線で有名な撮影地で5時間ほど撮影。475系急行「ゆのくに」  (北陸本線・敦賀−新疋田)
▲485系特急「雷鳥2号」  (北陸本線・敦賀−新疋田)
▲583系特急「雷鳥9号」  (北陸本線・敦賀−新疋田)
▲475系急行「立山1号」  (北陸本線・敦賀−新疋田)
▲新疋田での撮影を終え、米原経由で津に戻ってきました。(完)
 

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